ティファニーが最初にブレイクした国内事情

村上春樹の新訳によって、「ティファニーで朝食を」
が再評価されつつあります(記事はこちら)。

それを一番喜んでいるのは、
間違いなくティファニージャパンでしょう。
ここ数年は続々と上陸する新進のジュエリーブランド
に押され、なかなか厳しかったようですから。

でも、20年ジュエリーに携わる者にとって、
やはりティファニーというブランドは別格なのです。
格別の愛着とかノスタルジーを感じてしまします。

この新訳の書評を読むと、
最初の訳本が出た1960年代前半に、
翻訳者がニューヨーク5番街のティファニーで
「食堂はありますか」と尋ねたという逸話が登場します。
今では笑い話かもしれませんが、
当時の日本人で宝飾店のティファニーを知っている人は、
ごくわずかだったはずです

私がジュエリーに関わるようになった、
80年代後半バブルの時代、ジュエリーやダイヤモンドの
大衆化が一気に進みました。
それでも、その時代に存在した海外ブランドジュエリーは
ティファニーぐらいしかなかったのです。

その当時、カルティエはカルチェと呼ばれており
3連リングが有名でしたが、
ブランドとしてきちんと管理されていませんでした。
またブルガリは、まだほとんど無名でした。
ティファニーだけは、三越と提携関係にあり、
三越内にインショップを構えていたのです。

ティファニーだけが別格であったのは、
何といっても映画”ティファニーで朝食を”
そして主演のオードリーへプバーン
影響が大きかった。

小学生の私でも「ティファニー」の名前だけは
知っていたくらい。
その頃のオードリーへプバーンの人気は大変なもので、
“若竹のような”という形容詞がつく女優って
他にいないですよね。
とにかく、日本人の深層心理にティファニーの
名前は深く刻まれていたのです。

それが、90年前後(正確でなくてすいません)の
クリスマス前に爆発しました。
開店前の銀座三越の前に若い男の子(20歳代前半)
の人だかりが出来ました。
当時は百貨店側が、行列を並ばせるという発想も
準備もなかったのですね。
殺気立ったような、切羽詰まったような
雰囲気が印象的でした。

彼らのお目当ては、
シルバーのオープンハートのペンダント
今は、2万円程度で買えるようですが
当時は3万円以上しましたね。
大学生の男の子でもそこまでがんばるところが、
バブル期を象徴しているようですが・・・。

とにかく当時は、クリスマス時期にティファニーの
青いバックが街にあふれていました。
今、40歳代の女性の中には、
ボーイフレンドからプレゼントされた
ティファニーコレクションを持っている人も
少なくないでしょう。

ニュースになったのは、
お目当てのオープンハートのペンダントが買えなかった
男の子が、彼女に見せるために”売り切れ証明書”
を発行して欲しいと、販売員に泣きついたという話し。
この時代、”アッシー君、メッシー君”なんて言い方も
あったぐらいだから、圧倒的に女性優位だったのです。

最後に、私が以前在籍していた住友金属鉱山内で
伝わるティファニー伝説(実話)。

ほぼ同時期、ニューヨーク出張の際に、
奥さんのおみやげにシルバージュエリーを買いに
5番街のティファニー本店を訪れた、
若手先輩社員と老齢の男性販売員の会話。

Discount please!

This is Tiffany.

言ってみたいなあ。

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